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おばあちゃま、世界を翔ぶ
〜情熱とコンパッションの半生記〜

New York ビズ!にて連載中
Vol. 121

「ディブック」

死人の魂に取り憑かれたユダヤ人の古い民話「ディブック」
「ディブック」の初演のワンシーン

「ディブック」の初演のワンシーン

日本には霊界のお話が沢山あります。小泉八雲の怪談や能楽でもいろいろあります。死んだ人の魂が乗り移るお話は、昔からヨーロッパやアジア、中南米などでもありますが、ユダヤの伝統で最も有名なものは、「ディブック(Dybbuk)」というお話です。
「ディブック」は、1913年から1916年にシュロイメ・アンスキーがロシア語で書いた戯曲です。後にアンスキー自身がイディッシュ語に翻訳しました。

劇の舞台は、ブリニッツというユダヤ人の町のお話です。
カナンは、夢見がちでやせ細った貧しい学生で、秘密にカバラを実践しています。彼は密かにリアを愛しています。リアは、金持ちのセンダーの娘です。リアには沢山の求婚者がいましたが、常にセンダーが彼らを厳しく試していたため、誰も彼女と結婚することができませんでした。
ある時、センダーがリアにピッタリだと思う別の求婚者を見つけて、みんなに発表しました。カナンはショックを受けて、失神します。その後、急に彼が何かに取り憑かれて一度目覚めたのですが、彼は床に倒れて、手に『天使ラジエルの書』(天地創造の禁断の神秘的な書)を握りしめて即死しました。
数カ月後のリアの結婚式のクライマックスで、新郎がリアのベールをはずそうとした時突然、彼女は男の声で叫びながら、彼を押し返しました。リアはディブックに取り憑かれてしまったのです。
ラビ(アズリエル)が非常に強い悪魔祓いの儀式を行いました。そして、霊にリアの体から出るように要求しましたが、ディブックは拒否します。ラビは、ディブックがカナンであると分かり、そのことをみんなに告げました。
センダーはカナンを認めましたが、娘を貧しい男と結婚させたくなかったのです。
アズリエルは取り憑かれた霊を払う悪魔祓いの達人でした。その後、アズリエルは更に強力な悪魔祓いを行い、リアを死に至らしてしまいました。最後に、死んでしまったリアは立ち上がり、カナンに向かって歩いていき、二人は死の中で結ばれました。

難航した初演

初演はあたかも呪われているかのように、中々長いこと実現しませんでした。
1917年、モスクワ芸術劇場が「ディブック」を初演することになり、舞台化の準備が始まりましたが、次々と深刻な事態に陥りました。アズリエル役にキャスティングされたマイケル・チェーホフは、重度の神経衰弱に陥ってしまい、スタニスラフスキーはチフスで倒れてしまいました。
そして、1918年3月7日、「ディブック」の初演はキャンセルとなりました。作者のアンスキーは失望して、ヴィリニュスに戻りましたが、途中で原本を失ってしまいました。結局、彼は初演を見ないまま、1920年11月8日に亡くなりました。
こういう色々なことがあった「ディブック」は、1920年12月9日にワルソーで初演、ハビマ劇場では1922年1月31日にやっと初演され、大成功を収めました。そして、この作品は観客を魅了し続け、ハビマ劇場は、ソ連国内で300回以上(モスクワだけでも292回)、最後は1926年1月18日に国際公演を行いました。

以下、初演は
〈ドイツ語〉1925年2月28日、ウィーンのローランドビューネ
〈英語版〉1925年12月15日から1926年にかけて、ニューヨーク市のオフ・ブロードウェイの、ネイバーフッド・プレイハウス
〈フランス語版〉1928年1月31日、シャンゼリゼ劇場

メトロポリタンオペラが1930年ごろ、オペラ「ディブック」の作曲をジョージ・ガーシュウィンに委託しましたが、権利が取れず実現せず、「ポーギーとベス」が作曲されました。

70年以降、龍村和子の功績で蘇る「ディブック」

それ以降、2、3回は上演されたようですが、ほとんど忘れられていた戯曲ではありますが、首都ブカレストで上演されていたジューイッシュ・シアターを、1972年に私、龍村ヒリヤー和子がルーマニアから招聘し、本場の形でニューヨークで蘇りました。
その後、1970年代後半以降、「ディブック」に関して新たな興味が起こりました。レナード・バーンスタインは、ジェローム・ロビンスと1974年にバレエ「ディブック」を制作しました。「ウエスト・サイド・ストーリー」も「ディブック」に着想を得て、主人公達の死後の結婚で幕を閉じます。合掌。