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おばあちゃま、世界を翔ぶ
〜情熱とコンパッションの半生記〜

New York ビズ!にて連載中
Vol. 119

小さな結婚式とチェコの思い出

セントラルパークでのある平和なひととき

セントラルパークで結婚式を挙げたチェコ人カップルと筆者(中央)

私は、コロナのおかげで毎日セントラルパークを歩いています。今私が一番好きな場所は、ある池のほとりです。知る人ぞ知る隠れ場で、通り道になっていないため、静かで人通りも少なく、いつも、ガゼボにある木の椅子に座ってアヒルや亀を見て、魚が泳いだり飛び跳ねたりしているのを見て一刻を過ごします。読書も瞑想もします。

この間、ちょうどその場所に座っていたら、そこに1組の美しいカップルが来て「ウエディングをするのだ」と言いました。牧師さんが来て、立派なウエディングをなさいました。彼らはスロバキア近くのちっちゃな田舎から来たチェコの人でした。

チェコ人カップルのセントラルパークでの結婚式

昔はチェコスロバキアという国があったのですが、今はその国が二つに分かれチェコ共和国とスロバキア共和国になっています。

ブルノ・フィルハーモニーはスロバキアの近くの田舎のオーケストラで、私はわざわざそこまで行って、オーケストラの弦楽器部門があまりに素晴らしいので、この無名のブルノのオーケストラを全米演奏旅行に招待したことがありました。そう言えばチェコは弦楽器の制作が良くて私達はいつも良い楽器をアメリカや日本の生徒達に安く買って帰ってきたものでした。

その結婚式の若者達と話しているうちに、大好きだったチェコスロバキアとその最初の大統領バツラフ・ハベルという偉大な人のことを思い出しました。

チェコスロバキアの人達は、皆謙虚で優しい人達でした。そしてチェコスロバキア共和国の初代大統領はバツラフ・ハベルという人でした。1968年に「プラハの春」の運動が起こり、彼はこれで活躍して、ソ連軍が侵攻した時逮捕されて以後、何度も政治犯として逮捕され投獄されます。

1989年に「ビロード革命」という民主化を求める運動が、ヨーロッパで初めてプラハで起こり、ハべル氏は、この革命後にチェコスロバキアで最初で最後の大統領に就任しましたが、この国は、今までソ連の下で耐えていたのですが、この「ビロード革命」は“全く血を流さなかった革命”として今でも世界史上で有名です。

ハベル氏が一文化人として活躍していた頃、私は文化関係のことで、チェコには何回も行っていました。チェコスロバキアからは、紹介したいグループが沢山あり、ブルノ・フィルハーモニーをはじめ、当時人気を集めていたブラック・ライト・シアターや、チェコ・フィルハーモニーなどを招待しました。そうして、私の活動が文化交流に貢献したと認められ、チェコスロバキア政府から有名な「スメタナ・メダル」をいただきました。私はハベル氏にその頃、一度会いました。

ハベル氏は新しい共和国の初代大統領となり、1990年、アメリカに来ました。彼は先にワシントンへ行き、ホワイトハウスなどを訪問した後、ニューヨークに来ました。ニューヨークに着いた途端、彼はジーンズとセーターに着替え、LGBTのバーに行ったそうです。そしてセント・ジョンズの大聖堂で市民の歓迎の式典が計画されました。その時、たった2週間しか準備時間がない中、無料で出演してもらう出演者を集めるのが私の仕事でした。

この会には大変有名な人達が集まりました。

ポピュラー歌手ポール・サイモン、ロバータ・フラック、ジェイムス・テイラー、オペラ歌手プラシド・ドミンゴ、俳優グレゴリー・ペック、ポール・ニューマン、ハベル氏と幼馴染の映画監督のミロス・フォアマン、指揮者ズービン・メータ、ブルックリン・フィルハーモニックなどなどです。皆んなハベル氏の勇気と魂に心から啓蒙していたので私のお願いに同意してくれました。式典には5000人以上のニューヨーカーが集まりました。

これが、アメリカのPBSで放送されることとなり、全出演者から1回だけのテレビ番組の出演許可も、私がサインをまとめました。でもこの番組はチェコスロバキアでは何度も放送されてハベルさんの地位の確立に大変役立ったそうです。

ハベル氏は、裕福な家庭に生まれ、謙虚な人で、インテリで、劇作家でもあり、役者や劇場の裏方までやっていた人で著者でもあり大学教授でもあり、立派な文化人でした。ポーランドの元大統領レフ・ワレサは労働者として小さな村で生まれた人でしたが、ハベル氏と彼とは、よく比較されます。東ヨーロッパの長い間のソ連の圧力と権力を、ついに破って人民に自由をもたらした影響力の大きかったチェコとポーランドの英雄です。

新しく結婚した2人に祝福し、今のチェコのそして世界の平和を祈りました。合掌。