Reading

おばあちゃま、世界を翔ぶ
〜情熱とコンパッションの半生記〜

New York ビズ!にて連載中
Vol. 120

ルーマニアの国立ユダヤ劇団をアメリカに招待する

世界最古で今でも続く有名なルーマニアのユダヤ劇団
ルーマニアの国立ユダヤ劇団の劇場

ルーマニアの国立ユダヤ劇団の劇場

国際的な興行主として、私が特に誇りに思っている業績を読者の皆様と共有したいと思います。1972年、私はルーマニアの国立ユダヤ劇団(ナショナル・ジューイッシュ・シアターグループ)をアメリカに招待して、ユダヤの最も有名で重要な作品を、ユダヤ人の多いブルックリンで上演しました。「ディブック」と「真珠の首飾り」です。
私の招聘した「ディブック(Dybbuk)」は、ユダヤの民話で、死んだ人が乗り移る呪われた魂のお話で一番有名です。
これを私がブカレストで見てアメリカに持ち込みました。これについては次の121回=7月18日号掲載=でお話するのでお楽しみに。

日本には霊界のお話が沢山あります。小泉八雲の怪談や、生きている人に亡くなった人の魂が移るというお話は能楽でもいっぱいあります。霊界のお話は、古代ヨーロッパやアジア、ラテンアメリカなどでも、世界でも伝統としていろいろありますがアメリカではないみたいですね。人類は、死に意味を持たせたいという願望を持っており、「ドラキュラ」やディケンズ作「クリスマス・キャロル」のジェイコブ・マーレイなどからでも見ることができます。

劇場に貼られた「ディブック」のポスター

劇場に貼られた「ディブック」のポスター

世界で最古のユダヤのイディッシュ劇団

そしてこの劇団は、世界で最も古いイディッシュ語の劇団で、二つの世界大戦中も途切れることなく活動を続けていました。レパートリーに、ユダヤ人作家による劇や、ルーマニア語に翻訳されたイディッシュ語の劇などがあります。ルーマニアのユダヤ劇団は、古い伝統を持っており、近代ユダヤ劇団の父であるアブラム・ゴールドファーデンが経営していた、野外で上演されたユダヤ人俳優の一座から始まりました。
1940年以降、ブカレストで反ユダヤ主義が強まっていました。ルーマニアではユダヤ人の演劇への参加が禁止されました。イオン・アントネスクの失脚まで、イディッシュ語の使用も禁止されました。
それにも関わらず、ブカレストではユダヤ人の唯一の劇団が許可を得て、コンスタンチン・スタニスラフスキーの演技法を取り入れた俳優など、約200人の関係者がこの劇団に参加していました。戦争中も、このユダヤ劇団では30以上の作品を上演していました。
第2次世界大戦が終わると、イディッシュ語の上演が許されるようになりました。ルーマニアで共産主義が台頭すると、劇団は1948年に国立ユダヤ劇団として国有化され、20年間、世界初の国立イディッシュ劇団としても、栄光を維持し続けた存在となりました。この劇団の名前は「Teatrulul Evreiesc de Stat」として知られており、首都ブカレストに拠点があります。

ブカレストのユダヤ劇場のプログラムの表紙

ブカレストのユダヤ劇場のプログラムの表紙

それ以来この劇団は継続的に運営され、劇場は1954年から1956年に近代的な舞台を備えた建物に改築され、1955年、フランツ・アウアーバッハが団長に就任しました。1968年にはイスラエル、1972年にはアメリカとカナダ、1977年には東ベルリンで公演を行いました。

共産主義政権下でのユダヤ人弾圧や、ルーマニアのユダヤ人が大量にイスラエルへ移住したことと、更に、劇場が全く完成しないままユダヤ人地区の多くが取り壊されたにもかかわらず、1989年のルーマニア革命で共産主義時代が終わるまで、劇団は運営され続けました。現在も、政府とブカレスト市の補助金を受けて公共施設として運営されています。近くにあるユダヤ・ミュージアムとともに、ルーマニアに現存するユダヤ人の施設として、今でも民衆と訪問者に、“伝統的なヒューマニスト・シアター”と呼ばれ、親しまれています。感謝合掌。