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おばあちゃま、世界を翔ぶ
〜情熱とコンパッションの半生記〜

New York ビズ!にて連載中
Vol. 82

世界平和のための祈り

8月5日、広島、長崎のメモリアルデーに想う
神主の装束を着た筆者

神主の装束を着た筆者

8月5日に神道の神主として広島と長崎の原爆投下メモリアル・セレモニーがジャパン・ソサエティーと国連との両方で開催されました。私は神主の資格を持っており、神道の神主として平和の祈りを捧げて欲しいと依頼され、また、お話も3分位しました。

神道というのは日本人の気質を現している宗教だと思われており、日本人が原爆のメモリアルに際してどういう気持ちでいるのか、それを注目されているのです。

去年11月、急遽、世界宗教会議に神道の代表者として出席することになったお話を書いたことがあります。その時、神道について改めて思いを巡らせました。

神道が世界の他の宗教と一番違う点は、人が起こした災いも、まるで、1つの宇宙の定めとして受け止め、台風や地震などの天災と同じようなものとして受け止めとめていく点にあるのではないか、と思ったのです。

人が起こした災いであれば起こした相手を憎むのが当然、というのが世界的に見ると大多数の考え方のように思います。相手を憎み、やっつけるためにはどうしたら良いかで頭がいっぱいになるのです。それに対し、原爆に対する私達日本人の捉え方はどうでしょう。明らかにアメリカがやったことなのに、アメリカを憎々しく思い、罵り、憎み、恨み倒す、やり返す、そういう態度でいるでしょうか。

74年たった今、私達日本人は原爆を人類がやってしまった大変愚かな事として捉えていますが、アメリカがやったことなのだと恨んで終わりにしてはいないのです。もっと大きく宇宙的にものを捉え、もっと大きな見解で物事を捉える、これがとても神道的な捉え方だと思うのです。

神道では、自然からや自然のチカラを感じとり、崇拝し、受け入れます。その力が自分よりも遥かに大きいことを知って、その存在を認める、というのが神道では最初に大事なことなのです。自然を敬い、畏敬の念を持ち、そして感謝する。それが神道です。

宇宙の仕業として受け入れる

日本はみなさまご存知のように災害の多い国ですね。最近は特に災害が増えていますね。自然の大きな脅威の前に、私達日本人は徹底的に酷い目に遭い、苦しみ、でも何度やられてもそこから這い上がって、新しい生活を、誇りを持って構築してきました。 自然を支配しようとするのでなく、自然を神と考え、天災は神様が起こしたこととして考えるのが日本人。辛く苦しい気持ちがありながらも自然への尊敬と畏れを以って全てを受け止めるのが私達、日本人です。そしてそこから新しい芽を出し、成長していくのです。

日本人は原爆をアメリカ人の仕業として憎むのでなく、天災と同じように神の仕業、として受け入れたのでしょう。原爆は一瞬にして人の体も建物も、全部を焼いてしまうものでした。

広島長崎の合計で約21万人が死亡、死傷者の数は約368000人と推定されていて、これだけの人が一瞬にして焼かれてしまったのです。原爆は放射能で体の中から焼かれるのです。コンクリートの階段の上に座っていた人が黒い影だけになった現象は、たった数秒の間に人体の内側から放射線で焼かれるから起こる状態です。

そこまでの経験をしても、日本人はそれを、天災を受け入れたときのように受け入れました。仇討ちや憎しみや仕返しで心を燃やしてしまうのではなく、ひたすら、自分たちが再度立ち上がることに心血を注ぎました。

  

今、世界は分裂の時代で、憎しみ合うことに多くのエネルギーを使っています。憎んで、恨んで奪って、でもその先に何があるというのでしょう。こういう時代において、特に日本の神道のような考え方はとても大事です。

違う意見や違う物、恐ろしい体験までも、受け入れて、そこから新しい生き方を作っていこうとするのですから。

昨年11月のトロントの世界宗教会議で私がこう話すと、多くの聴衆が涙を流していました。私も、分かって頂けたことに対する感謝がこみ上げてしまい、涙を流しながら話を終えました。

世界平和は、武器や軍力によって成し遂げられるのではありません。それよりも、自分一人ずつを宇宙と自然とに繋げることで、自分の心に平和がくるのです。日本の神道はそういうものです。

(次回は8月17日号掲載)