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おばあちゃま、世界を翔ぶ
〜情熱とコンパッションの半生記〜

New York ビズ!にて連載中
Vol. 87

沖正弘先生の思い出(1)

沖正弘先生、日本のヨガの先駆者

私の人生に衝撃的なインパクトを与えた方がいます。沖正弘先生(1921~85)=写真=という日本のヨガの草分け的な方で、日本近代ヨガの父と呼ばれています。

今ヨガは流行しすぎてしまって、ポーズを作ることがヨガだ、という雰囲気になっていますが、本当のヨガではポーズは1割位で、精神をどう持つかが大事なのです。沖先生はそれを見抜いていた方で、ヨガの本場インドで行われたヨガの世界大会で「インドのヨガは死んでいる」と全員の前で言ってしまって周囲を驚かせたりしていました。本当になんでも知っている方で、何を聴いてもご存知で…この方から学んだことは今でも、私の中にしっかりとあります。

沖ヨガは日本の奈良時代以来の伝統を踏まえたヨガ・瑜伽(ゆが)で、インドのヨガの真髄を取り入れ、中国の陰陽哲学や日本仏教・神道・キリスト教・ユダヤ教など様々な宗教や習慣からの修行や考え方、また武道・諸芸道・整体・自然療法などを取り入れ、自然を畏敬し、自然に感謝し、自然をテキストとする生き方、「自然と結びつくという」観念にも基づいて、沖先生が生み出した特別なヨガです。

沖先生は厳しい方で、昔から自分流のトレーニングを持っていました。戦争中は、特務機関員としてスパイの仕事をしていたため、アラブとか中近東に行った時に捕まってしまったこともありました。その時、同じ牢屋の中にいた人が偉い有名なムスリムの人で、その人からいろいろなことを習って勉強したそうです。ある日その方を救い出すための人たちが馬に乗ってきて、その人たちに一緒に逃げるかと誘われたので、ついて逃げて出てきて、その後ずっとアラブ諸国を回って色々トレーニングしたそうです。

先生が作った道場は、日本で初めての合宿専門のヨガ修道場です。私の弟の龍村修は、今は日本でヨガの大先生になっていますが、早稲田大学の頃に体の動きを習おうと思って沖先生に弟子入りして、そのまま先生が亡くなるまで内弟子として厳しいトレーニングをしていました。今ではNPO法人沖ヨガ協会の理事長になっています。

画家としてイタリアで活躍していた別の弟、龍村明も、沖先生の弟子で、先生のイタリアでの修行に何度も参加していますし、明の奥さんの恵美子さんも弟子でしたが、今立派な先生になって、彼女はイタリア・ミラノで沖ヨガの教室を持って沖先生の教えを広めています。

沖先生は、完全な人間すぎて、人間でない感じでした。私は宇宙人なのかしらと思っていました。人間として生きるための全てを知っている人だ、と思っていました。精神的な事は無論、病気を治すこと、食べ物のこと、栄養のこと、体の運動のこと、体の使い方、歪みのとり方、なんでも幅広くご存知で、オリンピック選手も弟子にいました。彼はずっとものすごく病気がちだったのです。がんにもなっていましたが、バランスを取りながら毎日生きていて、寝込んだことがない方でした。米国では、サックス奏者のソニー・ロリンズは、呼吸法や楽器を扱う姿勢や心を学んだ沖先生の弟子の一人でした。

亡くなったときも衝撃的でした。イタリアの海での合宿中で、義理の妹、恵美子が身の回りのお世話をしていました。亡くなる3日前、お茶を持っていったら、青色のお茶碗の中の茶柱がすごくきれいな金色に輝いていたので、画家の弟、龍村明に「明君、これを見なさい、どう思うかね?」と沖先生が呼びつけました。それで、弟の明が、「青色の下地に金色に輝く色彩は、イタリアでは天国の色ですよ」って言ったら、沖先生は「ああ、そろそろ迎えに来たのかな」なんて言っていて、そのときはそのまま終わって、先生は静かに鳩と話していたのだそうです。

沖先生は鳥や動物と話をする人で、話ができているのが、見ていて分かるのです。その後、アドリア海の海辺でする修行法があった時に、明ともう一人の日本人弟子を呼んで、自分の泳ぎを見なさい、と言ったそうです。そして泳ぎ始めた時に、弟の明に手をかざしたそうです。タッチしないで、というような感じでもあり、さよならと言っている感じでもあり、そんな感じでさっと手をかざした後に、すごい勢いで、空から光がさしている中、龍のごとく沖の方へバーっと泳いでいったのだそうです。みんなはそれを見ていました。しばらくしたら、うつむいた姿勢で先生が沖で浮かんでいるのが、浜辺から見えましたが、周りにはブクブク泡がたっていたので魚の呼吸法をしているのだと思って、しばらく皆近づけなかった雰囲気だったそうです。そうしたらしばらくして行ってみたら亡くなっていたのです。

イタリアの警察は心臓麻痺かなんかだろうと言ったそうですが、見ていた者たちからすると、これはご自分で分かっていて亡くなるために泳いでいったのだろうというのは、明白だったそうです。

(10月12日号に続く)