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おばあちゃま、世界を翔ぶ
〜情熱とコンパッションの半生記〜

New York ビズ!にて連載中
Vol. 79

芸能の神様、天河神社

りょうちゃんの七五三のお祝いを天河で

娘とともに孫の天河神社で七五三詣りをする筆者(左)

孫が7月15日に3歳になるので、6月9日に七五三のために日本へ行ってきました。お願いしたのは、いつもお世話になっている奈良の天河神社です。

天河神社は奈良県の吉野にある神社で、正式名称を「天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)」と言います。芸能の神様が祀られている場所として歌手やタレントの方が参拝したとニュースになることがあるので、ご存知の方も多いかもしれません。天河神社の御本尊は弁天様で、弁天様は古くから芸能の神様として知られている神様なのです。

芸能と言っても、今芸能界の方々がテレビでやっているようなことを指すのではなく、昔は「芸能」とはお能などの芸術のことを指しました。観世は南朝の人達でしたから天河で観世の観阿弥、世阿弥父子の手によりたくさんのお能の名曲を作り、天皇に捧げました。そして佐渡にも流された悲しい歴史がありました。その御蔭で天河神社には今でも、お能のお面や衣装など、能楽の歴史を知る上で重要かつ文化的価値の高いものが30以上たくさん収められているそうです。
今でも家元の能楽の奉納が一年に1月、4月、7月と11月に4回あります。能楽は日本の伝統芸術で、重要無形文化財であり、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。

アメリカ生まれ育ちの私の孫も、天河神社での七五三ですから、着物を着て向かいました。まず神様に祝詞(のりと)を上げ、玉串を捧げて、3歳まで無事に生きてきたことへの感謝を申し上げるのですが、このとき大人の真似をして彼女も一緒にお辞儀しながら玉串を捧げて、2回お辞儀して手をぽんぽんと合わせましたが、本当にかわいかったですね。りょうちゃんも神妙に儀式に参加しました。

宮司様に抱かれる孫のりょうちゃん

ところで皆さまは、七五三の由来や意味をご存知ですか。古くは平安時代から七五三の由来になるような行事を行っていたのだそうです。3歳までは女の子は髪を剃っていて、3歳で伸ばし始めていたそうですが、この儀式を「髪置きの儀」と言っています。男の子は5歳で初めて袴を身につける儀式をしていたそうです。鎌倉時代になるとそれが変化して、着物を紐ではなく帯で結ぶ儀式になって、日本人が今でも七五三で子どもに初めての着物や袴を着させるのは、理にかなっていたのだな、と知りました。
今の七五三に近い形が完成したのは江戸時代で、私達日本人が今でも行っている行事は、江戸時代に完成したものが多いのですが、それまでの時代と違って、戦争を頻繁にしなくなったために武家や裕福な商人も、幕府も、儀式にお金や時間を掛ける余裕が出てきたのかもしれませんね。

七五三と言えば千歳飴ですね。長生きを願って作られるこの紅白に染めた棒状の飴も、諸説あるものの江戸時代くらいが始まりだとされているそうです。年齢と同じ本数だけ袋に入れると縁起がよいという説もあるそうですが、あの大きさの飴を5本も7本も子どもに渡すのは躊躇しますね。(笑)

天河神社は深い深い吉野の森の中にあって、その中を歩いて儀式の会場へ向かうだけでも身が引き締まります。この地をずっと見守ってきた樹齢は何百年なのかしら…と思うような太い樹々の中をもうすぐ3歳になる孫がとことこ自分の足で歩いていく姿には感慨深いものがありました。

赤い鳥居をくぐって、丸い橋を渡って、石の階段をずっと登っていくと、その途中に五社殿といって、たくさんの神様が祀ってあるのですが、ここには天から降ってきた隕石(地球にはない石)があります。その先に、また階段があり、それを上がって行くとやっと本殿につきます。そこには二つの天河の「五十鈴」(いすず)があって、太い縄で結ばれています。その上に階段があって、神様と会話の出来る祝詞を捧げるところがあり、後は能舞台です。お神楽や音月の太鼓がある横でご奉納をさせていただきます。

私の娘の時は、私の父母と一緒に京都の下鴨神社へ行ったなあ、あのときの写真もまだたくさん残っているわ、などと色々なことを思い出しました。NYに住んでいるからこそ、こうして日本らしい方法で孫の成長をお祝いできる機会があることをとてもうれしく思います。お世話になりました天河神社の宮司様と皆様には感謝でいっぱいです。
(次回は7月27日号掲載)